カテゴリー別アーカイブ: 子育て

自分でできるようにするために工夫していること 星のシール

現在19歳の長男。

生まれた時は
「本当に自分でいろいろとできるようになるのかしら・・・」
と心配していました。

少しずつ、少しずつ前進しています。

着替えで苦労するのが

「前うしろの判断」

学齢の時は購入するTシャツなどは
前にだけ絵があるものや
襟があって絶対に前がどちらか分かるもの
を選んでいました。

身体が大きくなってきて
最近困っているのが

「パジャマ」

サイズ的には紳士物のSサイズがピッタリです。

パジャマの上着でポケットがついているのが
良いのですが、なかなか見つけられません。

大体シマシマとか無地が多いですよね。

「どうしようかな~」と思っていた時に
見つけたのが

これ!

 

本当はタグに貼って誰のものか区別するものみたいなのですが

私はこれをパジャマに貼っちゃいました。

 

このシールのおかげで長男は前が分かって自分で着ることができます。

 

このシール。
長男の布マスクにも貼ってみました。

 

これを貼ったことで時々間違えていた裏表も
間違いが減りました。

シマシマだけのパジャマだと
どっちが前かを毎回声掛けしたり、
間違えてしまったらやり直しを手伝ったりしていましたが
自分で間違えずにできることで、
長男は張り切って着ています。

できないからすべて支援するのではなく

「できるようにするように工夫する!」

これはとても大切なことだと思います。

そして、実はこれ
介護でも応用ができるんです。

「自信をもって自分のことをする」のはとても大事ですね。

 

長男について夫婦で話してきたこと 情報共有の大切さ

先日、久しぶりに夫と言い争いになりました。

きっかけは、「長男の連絡帳」
久しぶりに土曜日に通所した長男。

その日は私は介護している伯母の家に泊まりだったので、
送迎車までの送り迎えや、
次の日の昼過ぎまでの面倒をすべてお願いしていました。

日曜日に帰宅して、長男の連絡帳を見ると、
「ズボンのホックが取れたので置いてあったズボンをはいて帰ります。」
と書いてありました。

夫に
「ズボンのホックが取れたって書いてあるけどホックはあった?」
と聞くと、

「知らない。連絡帳を読んでない。」
という返事。

え!!連絡帳を確認していない?

私「ホックが取れたならつけなくちゃならないよね?
連絡帳には入ってないけどどこにある?」
夫「・・・・」

洗濯してくれた干してあるズボンを確認に行くと
なぜかホックはついてる。

まあ、それはそれで良いのですが(本当は良くないけどこれについてはまた今度)、
この時点でちょっと私は怒りモード。

私「連絡帳は通所先から帰ったらすぐに見て欲しいの。
重要なことが書いてあるときもあるから・・・」
夫「いつもは見てるけど今回は忘れた。」

いや、その返事は違う。なんでー!!

私としては、自分が家を留守にするときは、
何をして欲しいとか何が大事か・・・などは十分話していると思っていました。

例えば、
帰った来たら出かけた時と服装は同じか?
マフラーなどの忘れ物はないか?
上着は来ているか?
顔にけがなどがないか?
・・・などなど

長男は自分でできないことがあったり、
上手くしゃべれなかったりするので様々な確認が必要なのです。

でも、夫の認識は少し違っていたようです。

基本的に、私が仕事で出かけたり、実家に帰省するときなど、
子どもの世話や洗濯、食事などを嫌な顔をせずやってくれる夫で、
それは本当にいつも感謝しています。

でも、どこか中途半端な時があり、問題だった部分を上手く伝えられずにいて、
それまで我慢していたことが一気に口から出てしまいました。

どこかで
「私たちはちゃんと意思疎通できている」
と自負していたのにがっかりしてしまった部分もあったのかもしれません。

長男に関することは、
各種手続きや通院、
健康管理の方法など
まめに情報共有してきたつもりでした。

が、今回のことで十分にできていないと痛感しました。

伯母の家から帰ってすぐに言い争いを始めてしまったので、
いったん冷静になり夜に再度話すことにしました。

その夜、私がこれまで言えずにいたことや、夫の考えを再確認しました。

そのうえで、後日もう一度話したいと夫に伝え、話し合いました。

・私が相談したいことを伝えるタイミング 仕事中でも良いのか?土日なのか?
・伝える手段 メール?電話?直接話す?
・記録して共有する方法 文書?メモ?ほかのツール?
・どんなことを共有していくか

話し合いの前に自分の気持ちを文書にしておき、
それを確認しながら進めていきました。

私は子育てのメインは母親だけでもなく父親だけでもないと考えています。

夫婦二人がメインで行い、
親ならではの視点で子どもの様子や気持ちを確認していく必要があると思っています。

新しい方法を試しながら、親なきあとの備えの部分も含めて情報共有をしていきます。
新しい方法がうまくいったらまた報告しますね。

 

長男の成長日記 No7 【子育てのはじまり】

長男がダウン症候群であるという告知を受けてからも、
長男は育っておりミルクでの授乳やおっぱいでの授乳の練習をしながら
看護師さんたちに励まされ病院で1週間過ごしました。

いよいよ退院の時は少し緊張していました。

夫と一緒に産院で最後の診察を受け、注意事項などを聞きました。
そして、早めに大学病院で受診をするようにと紹介状をもらいました。

里帰り出産だったので、
実家に1か月ほどお世話になる予定でした。

最初から全く一人になるわけではなかったけれど、
日中は一人で長男を育てていかなければならないと思ったら

少し怖かったです。

おっぱいが上手に吸えず授乳に本当に苦労しました。
ミルクとの混合で何とか・・・

そしてダウン症候群の赤ちゃんにありがちな

「便秘」

筋肉量が少ないので上手く踏ん張れずなかなか出せない・・・

入院中は出ていたのに、退院してからなかなか出ず、
退院後4日目にやっと出ました。

この授乳と便秘にこの後ずっと悩まされることになります。

本格的な子育ての始まりにドキドキしていました。

 

 

長男の誕生会 19歳になりました

今月は長男の誕生月。

先日家族で夕食にお祝いをしました。
4人揃ってお祝いです。

事前に長男に何を食べたいか確認し、食事はお寿司となりました。(少し長女の意向が入ったようですが・・・)
もちろんケーキも用意します。

お友達からもらった花束もテーブルを添えます。

ダウン症候群であっても家族にとってはとても大切な命。

ケーキのろうそくを吹き消すときの嬉しそうな顔はいつも通りです。

生まれた時は「私に育てられるのだろうか・・・」と不安ばかりでしたが、こんなに大きくなってくれて本当に嬉しいです。
(身長は中学2年の時に越されました)

毎年の誕生日のたびに、長男と家族に感謝です。

長男の成長日記 No6 【なぜ告知を母と受けたか】

19年前の長男の出産後2日目に
「ダウン症候群かもしれない」
と里帰り出産していた産院の院長先生から告知を受けました。

 

出産してから院長先生の言動に不安を覚えた私は
院長先生に直接「何かあるのなら言ってください!!」と
お願いしました。

院長先生は夫が週末に来た時に話をするつもりだったようです。

でも私はそれまで待つことが嫌だったのと、
もしかすると夫にしか話さないかもしれないと思ったのです。

なぜかというと・・・・

私は長男の妊娠前に卵巣の手術を受けたことがありました。

夜中に卵巣にあった腫瘍が破裂して内部出血し、
朝まで我慢してしまい救急車で病院に搬送されての手術でした。

退院した時は担当の医師からは特に何も言われず、
完治したものと私は思っていました。

が、
退院から2か月ほど経ったときに夫にこう言われました。

「子宮内に腫瘍が残っていたので、
しばらくしたら婦人科で検診を受けるように
退院の時に医師に言われた。」と

え!なんで?

「自分の体のことなのに、なぜ夫に話すの?」

自分の体の状態の心配より、
自分のことなのに何も知らされていないことに腹が立ちました。

そして、いつ言おうかと考えていた夫を気の毒に思いました。

この経験があったので、
もし自分の子どもに何か問題があるのなら
「自分が最初に聞きたい」
と思って私は院長先生に

「私に話してください!!」
とお願いしたのでした。

私はこの決断は間違っていなかったと思っています。

自分のこととしてしっかり院長先生の言葉をかみしめ、
眠れない夜を過ごしたことで

母親としての決意をすることができました。

母と一緒に聞いたことで冷静でいられたと思っています。
母に感謝です。

余談ですが・・・

その後、知り合った同じダウン症候群の子どものいるお母さんは
出産後すぐには自分の子どもがダウン症候群だと知らされず、

1か月検診で言われた・・しかも夫は退院の時に聞いていたことをその時に知ったと。
夫に全てのストレスを負担させた医師をあまり良く思っていない・・・と。
(この話はまた今後詳しくお話します。)

子育てを主に行うのは母親ですから
正しい情報を信頼した人と聞くことが
大切だと私は思います。

そして
今は声を大きくして言います。

「私はダウン症候群の長男と幸せに暮らしています。」

 

 

長男の成長日記 No5 【眠れぬ夜】

運命の告知の夜のお話です。

ダウン症候群の疑いの告知を受けて
部屋に戻ってからのことはほとんど覚えていません。

母と何を話して、母がいつ帰ったのか・・・
いつの間にか夕食の時間になっていました。

完全個室なので食事も部屋まで運んでくれます。
(これは本当に助かりました。誰かと一緒にはいられなかったと思います)

ベッドに座ったままじっとしてずーっと考えていました。

「ダウン症候群ってどんな病気なの?」
「私に育てられるの?」
「学校とか行けるのかな?」
「差別されたりするのかな?」
「いじめられたりしないかな?」

ダウン症候群について何も知らない私にとって、
分からないことだらけでした。

そのうえ子育て自体が初めてでいったい何がどうなっていくのか、
想像もつきませんでした。
(逆にその方が良かったことものちに分かりますが・・)

夜中に身じろぎもせずに考えていた時に、
キューっとおっぱいが張ってきました。

その時、はっと我に返りました。

そして、はっきりと思ったのです。

「長男を育てていくのは私なんだ。
いろいろ考えたって仕方ない。
おっぱいをあげなくちゃ!」

すぐに、保育器の部屋に向かいました。

そしてミルクを飲ませ
しばらく抱っこさせてもらいました。

告知された日に書いた「信じよう」の一言は今にして思えば、
「私に育てられると信じよう」だったのかもしれません。

一人で部屋に戻って、すぐには寝付けなくて・・
朝日が昇ってくるのを見ていました。

 

長男の成長日記 No4 【運命の告知】

今日は久しぶりの晴れですね。
うれしいですね。

さて、長男の成長日記の最初の山場です。

出産から2日目の夜は長男のいる部屋と自分の部屋を
行ったり来たりしながら過ごして3日目の朝になりました。

朝食がすんだころ院長先生が来て
「旦那さんはいつ来ますか?」
と聞いてきました。

「里帰り出産だったので週末は来る予定です。」と伝えると
「あー。」みたいな顔。

あれ?何?
低体温のことでちょっと敏感になっている私は何となく不安になり・・・

 

「なにかあるんですか?なにかあるなら教えてください。」
と聞いていました。

すると

 

「誰か家族の方を呼んでください。」

え。なに?
(もう不安でドキドキがとまりません。)

 

すぐに母に電話しました。
母が飛んで来てくれました。

その後、診察室に呼ばれて

「息子さんはダウン症候群の疑いがあります。
最終的には検査しないと分かりませんが・・・」

「低体温なのも上手におっぱいが吸えないからだと思います。」

「心音などからは心臓は合併症が無いと思いますが、
医大に紹介状を書きますから、
こちらを退院したら受診して検査を受けてください。」

こんなようなことを言われたと思います。
ただなんだか院長先生の言葉が遠くに聞こえて
よくわからなかったような覚えもあります。

「とにかく体温が上がって体重が増えるように哺乳瓶でミルクを飲ませます。
もちろんおっぱいを吸わせても大丈夫。」

「眠れなかったら睡眠薬を処方しますよ。
ただしその場合はおっぱいは飲ませられません。」

 

もはや、なにを言われても聞こえない感じです。

 

どうして!どうして!

 

その時の頭の中はそればかりでした。

部屋に戻ってからのことはあまり覚えていません。
いつ母が帰ったのかも覚えていません。

そして、その日の日記には

と書いていました。

その日の夜は一睡もせずに朝を迎えました。

 

 

長男の成長日記 No3 【低体温で保育器に】

もうすぐ誕生日の長男の誕生会の詳細を家族で決めました。
本人の意思と長女の意向を確認して、
お寿司とケーキでお祝いすることに決まりました。

さて、長男が生まれた日はぐったりしつつも
一緒に過ごせるのをとても幸せに感じていました。

里帰り出産で選んだ産院は
「母子同室(個室)」「完全母乳」でした。

次の日の日記には
「朝までほとんど泣かず眠っている。何度か吸わせてみたが
まだ強く吸ってくれない。泣けば口が開くので今日の夜あたりからとのこと。

早くもっと泣かないかなあ・・」

と書いてある。
かなり不安に感じているのが分かる。

その日の夕食のときに院長先生が部屋に来て

「母乳がうまく飲めず、体温が低いので
保育器で温めて哺乳瓶でミルクを飲ませましょう。」と。

哺乳瓶では吸えているよう。

保育器のある部屋は看護師さんの控室の隣の部屋で、看護師さんからは
「いつでも抱っこしに来ていいからね。」
と言ってもらいホッとする。

3時間おきに行っては抱っこさせてもらったり、
哺乳瓶での授乳をさせてもらったりしていた。

でも

院長先生の言い方に何か引っかかるものを感じていたようで、
その日の日記の最後には

「体温が低いのは何か理由があるらしい・・・気になる。」
と書いていた。

そして次の日は忘れられない日になる。

次の記事に続きます。

長男の成長日記 No2 【妊娠を喜ぶ私】

今日は自動車税の減免の手続きの書類を投函しました。

愛の手帳を持っていることで様々な支援があるのですが、
療育や定期的な検診のために病院に通うので車が必需品な私たちにとってはありがたい支援です。

この申請は毎年10月に行うので、申請の書類が送られてきます。

このように1年を通して様々な申請や手続きを行うので
私は夫に分かるようにファイリングしています。

さて、今日は前回お伝えした長男の成長日記についてです。

実はこの日記は長男の妊娠が分かった時から書いています。

初めて病院に行って妊娠が分かったこと、
夫にメールしたこと、
つわりがひどくて通勤が大変になってきたこと、
母子手帳をもらいにいったこと、
検診のことなど、本当に細かく書いてありました。

私が妊娠を喜んでいる気持ちが本当に良くわかります。

なぜなら

私は長男の妊娠までに
一度の流産と卵巣の手術を受けていたからです。

流産は結婚してすぐに、卵巣手術はその一年後でした。

どこかで
「私は子どもは産めないかもしれない・・」
と思っていました。

妊娠が分かったときは本当に嬉しくて、もちろん夫も喜んでくれて。
でも、流産しやすい体質なのか安定期に入るまでは気を付けるように言われていて。
安定期に入ってからは本当に順調で。

生まれてくる日の日記は明け方から痛くなっていて
書いている文字がよれっています。

その日の夜に破水して里帰り出産だったので
父の運転で病院に行きました。

夜の11時に分娩室に入ってからが長くて
次の日の朝の4時に生まれました。

「うれしい気持ちでいっぱいになる。」

と生まれた日の日記の最後に書いていました。

 

そして

 

次の日から不安な日々が始まったのでした。

次の記事に続きます。

 

長男の成長日記 No1

すっかり秋の風が吹いていますね。
皆様、お元気でお過ごしでしょうか?

10月は長男の誕生月です。
受給者証の更新手続きで、
面談やら書類の提出やらに追われています。

断捨離も少しずつ始めていて、
リビングの棚を整理していたら子育て中に書いていた日記が出てきました。

懐かしいなあと中を眺めながら
すっかり忘れていたことも書いてあってびっくり。

ちょうど、長男が来年20歳になるのでこれまでの経過などを
記録しておこうと思っていたので大助かり。

ブログにも書いていこうと思いました。

第一子だったのでとても神経質になっていたのがわかります。
毎日の様子を事細かに書いていました。(今ではできなーい)

記入する形は年齢によって変化していますが、
保育園に入園するまでの約5年間で3冊にもなっていました。

書いている内容もちょっとずつお見せしながら
私の長男の子育てを書いていきたいと思います。

どうぞ次回からお楽しみに!!

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